【画像・動画】今年も派手にやらかしたトマト祭りをご覧下さい
ラ・トマティーナは、スペインバレンシア州ブニョールで、8月の最終水曜日に行われる収穫祭です。とにかくトマトまみれになりたい方、失恋の痛みをトマトにぶつけたい方、「ハロー」の代わりに「トマト!」と挨拶したい方は来年参加されれば良いとおもいます。
思いのたけをトマトにぶつけ合うため、世界中からトマト祭りに参加したい旅行者が集まり、2008年主催者発表では人工の4倍以上となる4万人が集まったそうです。しかしあまりに人が密集し過ぎて危険な事から、現在は2万2千人までに制限されています。
役場の号砲を合図に「トマティーナ」が開始され、トマトを大量に積んだトラック数台からトマトが配られていきます。ある程度トマトが減ってくると荷台を傾けて、残っているトマトを路上にばらまきます。
今回用意されたトマトの数は12万5千個だそうです。東京から来たという25歳のサイトウアヤノさんは「とにかく狂ったフェスなので、日本からもっと参加した方が良い」と述べました。
地元の家や商店街の人たちは、トマトの被害を避けるため、青いビニールシートで防衛しています。
金融危機以来、多くのスペインの街と同様、ブニョールも借金で苦しんでいる。金融系新聞の調査によれば、500万ユーロ(約6億8500万円)の借金があるそうです。
Tourists pelt each other in Spain annual Tomatina fiesta
トマティーナの歴史
トマティーナは1940年代半ばに始まったが、その起源はよく分かっていない。
起源については、野菜売りのスタンド前での喧嘩でトマトを投げ合った、住人同士での階級闘争、パレードでトマトが一斉に投げられた、町政に不満を持つ住人が、町の祝賀会で町の議員に向けてトマトを投げつけた、戦争が終わってこんなに真っ赤になっても死なないぞというメッセージなどがある。
その後毎年同じ日に、同じように各々トマトを持ち寄って投げ合うという初期「トマティーナ」が出来て、ブニョールもその日を「トマトの日」と定めた。しかし毎年段々と過激になってきたことを受けてブニョールは1951年には禁止し、強行しようとした人々を逮捕した。それにブニョールの住人から猛抗議されたことで警察は逮捕者をすぐに釈放し、翌年からはまた開催されるようになった。
しかし1957年に再びトマティーナは禁止された。人々は「トマトの葬式」という名目でトマトを棺桶いっぱいに詰めて祭りの禁止に抗議した。
1959年に、ブニョールはトマティーナのルールを定めた。それは
・1つのハムによって祭りを開始する
・祭りの前後には絶対にトマトを投げない
というものであり、これはルールを作ると同時に、祭りを行うことを正式に許可するものであった。やがて祭りは国際的なものになっていき、それまで参加者が各々トマトを持ち寄って投げ合っていたが、1975年からは投げられるトマトもブニョールが用意するようになった。